2006年09月19日
在津吾朗とは何者なのか?
出身は福岡県太宰府市の水城という所です。
山と田んぼに囲まれて、のんびりした場所でした。
昔は筑紫郡太宰府町大字水城と呼ばれていました。
太宰府町立水城小学校を卒業して学業院中学校に進学。
3年生の時に福岡市立舞鶴中学に転校して、ここを卒業しました。
あの「のりぴー」酒井法子さんが1年生の時の3年生です(*^_^*)
高校は鹿児島のラ・サール高校に進学しました。
寮生活と「ラ・サール」という言葉の響きに憧れて、よし!東大を目指すぞ!などと思ったものでした・・・
まぁ、世間知らずな中学生だったのです・・・(^_^;)
ところが・・・進学してすぐに勉強の壁にぶつかり、日を追うごとに進度について行けなくなりました。
中学を卒業して間もない子供だったので、この時期、かなりくじけそうになりました。
その後も勉強しているつもりなのに、成績は一向に上がる気配が無く、
特に数学や物理はちんぷんかんぷん。
このままでは地獄のような高校生活になってしまう!
なんとかしなければと必死で考え抜いた結果、勉強ではなくて、
部活の剣道の方をがんばることにしました(*^_^*)
当時の鹿児島は剣道では全国屈指の強豪県でした。
これに対してラ・サール高校剣道部は弱小でした。
そこで・・・ 弱小進学校の剣道部を日本一に! をスローガンにしたのです。
目標を東大からインターハイに切り替えて、そんな夢を追いかけることにしたのです。
こうして、親元はなれた暑い暑い鹿児島で、剣道一直線!な毎日を過ごすことになりました。
そんな高校生活だったので、現役で大学に進学することはできませんでした。
卒業すると福岡の実家に戻って代々木ゼミナールで浪人生活に入りました。
浪人時代には、宙ぶらりんな感覚に苦しめられました。
高校生でもない、大学生でもない、社会人でもない・・・なんてことだ!
これは人生についてかなり真剣に考えさせられました。
このままでいいのか?自分は本当に大学に進学できるのか?
高校時代に勉強をあきらめてしまったけど、本当にそれでよかったのか・・・?
1ヶ月ほど不安や葛藤に苦しんだあと、春になる頃には夢を再び東大進学に戻しました。
進学校の落ちこぼれ君が東大進学!的なイメージを膨らませて・・・(*^_^*)
こうして、高校時代とは一転、まさに東大一直線!な浪人時代をすごすことになりました。
まぁ、結果的に言えば、世の中そんなに甘くはありませんでしたが・・・。
しかし、一度あきらめた夢を、あきらめたままにせずに
真剣に追いかけて取り組んだ一年間となりました。
中学生の頃夢見た「東大進学」については、結局海の藻屑と消え去りはしましたが、
お陰でこの夢と受験勉強に対しては完全燃焼することができました。
あの時あきらめずに取り組んで本当によかったと時々思います。
2年間の受験戦争で、唯一合格通知をくれた慶應義塾大学経済学部に喜んで進学しました。
慶応義塾での4年間の大学生活では、経済学の勉強、英語の学習、道場での剣道稽古に没頭しました。
3年生になるとすぐに始めた就職活動中に思うことがあって、
当時決まっていた東京の就職内定先をことごとくお断りして福岡に戻ることにしました。
1992年4月、福岡市博多区に本社を構える九州松下電器株式会社
(現パナソニックコミュニケーションズ社)に入社し社会人デビューしました。
九州松下電器では、北アメリカ向けの情報通信機器の輸出事業で随分と鍛えていただきました(^_^;)
海外営業統括部門の北米担当として配属されると、
入社2年目の4月にはアメリカ松下電器(MECA)に出張させていただきました。
同じ年の夏以降には担当地区を持ち、単身ボルティモアに出かけては
現地のセールスカンパニーと共同戦線を張りました。
初出張以来在職していた4年間、一年のおよそ三分の一をアメリカで過ごすという
激しい海外出張生活を送ることになりました。
そんな貴重な体験をさせてくれた九州松下電器には、
今でもとても感謝していると同時に、途中で退職してしまったことを心から申し訳なく思っています。
1996年、実家の事情もあって4年間お世話になった九州松下電器を退職することになりました。
九州松下時代に出張先のアメリカで、時代の中心がSOHOからインターネットへと
ぐんぐん凄いスピードで変化していくのを目の当たりにしました。
その可能性を感じて密かに1年以上、時間を見つけては情報通信技術について独学していました。
退職する際、そんな経験を何かで活かせないかと考えました。
このような経過からインターネットビジネスを行うことを目的に
「マイティーゴードンカンパニー」を設立、今日にいたっております。
2007年は、マイティーゴードンが誕生して11年目。
この間に色々なことがありました。これからもきっと色々なことがあると思います。
そんな「色々」を綴って行こうと思います。